こんにちは。高岡氏です。
先日、人気番組『テラスハウス』に出演していた若い女子プロレスラーが亡くなった、という痛ましいニュースがありました。原因は明らかにされていませんが、彼女のアンチの心無い発言がSNS上に多数寄せられたことによる自殺が原因である、という見方が有力です。
ここで話題になっている「ネット上の誹謗中傷」、一部では「ネットリンチ」なんて呼ばれていますが、現在のネット社会における大きな問題となっていますね。今回は人気番組の出演者ということもあり、大きな反響を呼びました。
この問題については正直どうしようもないだろうな~、というのが私の気持ちです。なぜなら、誹謗中傷は永遠に無くなることがないから。
なぜ誹謗中傷が無くならないか、という話をする前に、まずは「誹謗中傷」という言葉の定義を確認してみましょう。
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「誹謗中傷」という四字熟語は存在せず、「誹謗」と「中傷」は以下のように別個に存在する概念である。違いは、「誹謗」は「根拠」のあるなしにかかわらないのに対して、「中傷」は根拠なしであること。
- 「誹謗」 - 対象をそしりけなすこと。正法をそしることにも用いる。
- 「中傷」 - 根拠のない事を言いふらし、他人の名誉を傷つけること。
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(引用 wikipedia「誹謗中傷」より)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%B9%E8%AC%97%E4%B8%AD%E5%82%B7
このように、この言葉の含む意味合いは結構広いんですね。仮に事実を指摘したとしても「誹謗中傷」になり得るということです。
法律においても、指摘したことが事実であれ、それによって指摘された人物の社会的な評価が下がった場合は名誉毀損になる、と規定されています。つまり、「事実を指摘してるだけなのに何ムキになってんだよwww」という煽りは通用しない、ということですね。
さて、定義を確認したところで本題の「なぜ誹謗中傷が無くならないか」について考えていきましょう。
1.人間は社会的な生き物だから
我々は1人では生きていけません。我々は生まれた瞬間から常に何らかの集団に属することとなります。家族、クラス、会社、国、県、etc...
仮に何物にも囚われていたくない、と考えていたとしても、人間らしい生活をしようと思ったら必ず何かしらの集団という単位で括られることになります。
さて、この集団内で争わず、平和に過ごしていくためにはどうしたらよいでしょうか?そう、同じ性質の者同士で寄り集まっていればよいのです。そのためには異なる考え、見た目の者は邪魔になってくるので、排除しようとするわけですね。その根底にあるのは「異質なものを排除して平和に過ごしたい」という思いなので、排除しようとする側にとっては「正義」の一環なのです。
また、人間はこの「正義」を執行する際、脳内で快楽物質が生み出されることが分かっているようです。(下記事参照)
なぜ「他人の不幸は蜜の味」なのか? 脳科学者が説明する現代社会の闇の正体
https://news.nicovideo.jp/watch/nw3235982
もはやTwitterで何度見たか分からないコマですが、上の記事に言わせれば、これはもはや人間の本能のようなものなのです。この世から誹謗中傷を完全に消せるのはもはや神だけですね。といっても、少し立ち止まって考えることはできます。
以前に、例のウイルスを過剰に恐れるのではなく、少しは頭を働かせようぜ、ということを話しましたがそれと同じですね。ただ本能に流されているだけなら、我々の頭なんてただの飾りですよ。
2.受け取り手の問題
今回の件については誹謗中傷を行ったアンチが圧倒的に悪いのですが、というか人を悪し様に言うほうが正しいということがあってはならないとは思いますが、それらを「不快」と感じるかどうか、というのは結局受け取る側が判断することなんですよね。これが非常に厄介な点で、あからさまに「ゴミ」だの「クズ」だのと言った罵倒を使っていれば分かりやすいですが、現代だと「君かわいいね」という一見すると褒め言葉であっても、女性が不快だと感じればセクハラ扱いじゃないですか。
私の好きなプロ野球の応援についてよく議論に上がることとして、「くたばれ讀賣」「倒せ!○○」といったコールなどの問題があります。「様式美」「挨拶のようなもの」と言う人もいれば、当然不快だという人もいます。これについてはどちらが正解というものでもないでしょう。
SNSでは、簡単に自分の意見を表明できる上、多種多様な人が見ているため、あまりに現実離れしていて滑稽に見える意見にも多くの賛同が寄せられます。「○○は不快だ」という意見も然りです。
それは良いのですが、その影響を考えずにただただ不快だからという理由で短絡的な意見を発する人が多いなあと感じてしまいます。そういう人は、大抵主語を「みんな」にしたがりますが、その人にとっての「世界」は自分のご近所だけなんでしょうね。
世の中、誰かにとっての得は他の誰かにとっての損になるようにできています。自分の受けた損害と、それを公表することに当たって他人に与える損害のバランスを考える必要があるのではないでしょうか。
「これは誹謗中傷だ!名誉毀損だ!」と騒ぐ前に、自分の胸に手を当てて考えてみてください。火のない所に煙は立たぬと言います。自分はそう言われるに値するようなことをしたのではないか、と考えてみることも必要ではないでしょうか。
3.じゃあどう対処すればいいの?
上述の通り、誹謗中傷は無くなるものではありませんし、また誹謗中傷の基準も受け取り手によって異なるため「これ!」というべき対処法はありません。とはいえ、方法が全くないわけでもありません。
3-1.放置
読んで字のごとく、何を言われても無視!相手の反応を楽しむタイプの人間ならば、数日ほど粘着された末勝手に飽きてやめてくれます。
3-2.ユーザーミュート(Twitterの場合)
ある意味ブロックより効果的な方法です。Twitterを見ていると、たまに有名人にブロックされたスクショを載せて自慢げにしているユーザーがいます。馬鹿だなあとは思うのですが、ブロックしたことは相手に分かるので、つまり反応をしたのと同じ、と捉える輩はいます。そこでこのミュート機能を使えば、見たくないツイートは見ないで済む上に、相手には分かりません。まあそれでも、勘が鋭い人間には気づかれることもありますが・・・。
3-3.他のSNSに移る
何もSNSはTwitterだけではありません。Twitterはあまりにも種種雑多な人間が多すぎる上、匿名ツールとしても機能しているため、誹謗中傷がなされる土壌が完成しています。匿名でないだけでもだいぶ悪口は言いづらくなるので、Facebookのような原則顔出し必須のSNSに移ったり、あるいはmixiのような特定の趣味・志向に特化したコミュニティに所属するのもアリだと思います。
3-4.そもそもSNSをやらない
極端な話、SNSなんてやらなくても情報を得ることは出来ますし、友人と連絡を取ることは可能です。しかし、現代に生きる我々、特に若者にとっては難しい判断でしょう。なぜなら、皆がやっているのに自分だけがやっていない、という疎外感に耐えられる人間はあまり多くないからです。目に見えない相手からの悪意を恐れて、目に見える相手との付き合いを失ってしまうというのも本末転倒な話です。
私が思いつくのはこんなところでしょうか。私自身は誹謗中傷の被害を受けているとは全く感じていないので、楽しくTwitterを利用しています。Twitterほどカオスな空間は他のSNSではなかなか再現できないでしょうし、私にとっては大好きなツールです。
4.まとめ
さて、総合すると
・誹謗中傷は決して無くなることはない
・発言の前に、発言の妥当性を考えてみる
・発言を受け取った側も、自身の不快度合いが社会に大きな影響を与えるに値するものなのかを考えてみる
・対処法も全くないわけではない
この件がきっかけで、インターネットの書き込みに対する規制が厳しくなる可能性もありますが、私はそうはなって欲しくないですね。どんなに規制を厳しくしたところで、それをかいくぐろうと悪知恵を働かせる輩は必ず現れます。そうなってくると、普通に使っている我々が一方的に損をすることになりますから。
結局のところ、我々の心掛け次第というしかないんでしょうね。嫌な世の中ですねえ、全く。
ではでは。