久々の更新がこんな内容になってしまうのはアレなんですけど、気になる意見を見つけたので自分なりに思うことを書いていこうと思います。
自殺については以前にも触れているのですが、
上にあげたのは鉄道界隈で有名な「スーツ」というYouTuberの動画です。
彼は鉄道の動画以外にも社会についての提言であったり、他のYouTuberに対する批評を行う、いわゆる「物申す系」動画をちょいちょい上げてるんですけど、今回はかなりセンシティブな話題に触れています。
ちょっと長いので動画の内容をかいつまんで説明すると、
「コロナによる生活苦で自殺を選択する人が多いが、生活保護や自己破産というセーフティーネットが充実しているのになぜそれに頼らないのか?解決する手段があるのに取り返しのつかない『自殺』という手段を採るのはもったいない」
「生活保護や自己破産は悪いことだというイメージがあるが、『コロナなんだからしょうがない』じゃないか」
「何かあったら自殺が当たり前という風潮は良くない」
・・・
・・・・
・・・・・
ごもっとも。
元々この人は「金儲けをする」という姿勢を臆面もなく動画に出すような人なので、今回の意見も彼らしく、「使える手段は何でも使う」という気持ちがよく表れていると思います。
これを踏まえ・・・というわけではありませんが、私なりに「自殺」について掘り下げるきっかけにしていこうと思いました。
まず私の結論を述べさせてもらうと、
①「迷惑」
②「宗教」
これが大きなカギを握っているんじゃないかなと思います。
以前書いた記事でも同じことを言ったんですが、
人って誰かが自殺しようとすると
「そんなことをしたらあなたの家族や知人に迷惑がかかるよ!」って言うじゃないですか。
通勤中の人身事故が最も顕著な例ですね。
「頼むから、死にたいなら他人に迷惑のかからない方法でやってくれ」
別に日本人に限った話ではないのかもしれませんが、日本に生きているとあちこちで
「他の方の迷惑になる行為はやめましょう」
という注意書きを目にします。
「よそ様に迷惑をかけさえしなければ何をしてくれたっていい」
人の親はよくそのようなことを言います。
「和」を重んじると言われる日本人は、他人の手を煩わせることを何より嫌います。
その一方で、「空気を読む」という考えも強く、はっきりと物を言うことで諍いが起きることを避けようとする一面もあります。
すると、知らず知らずのうちに他人の迷惑となることを平然と行ってしまっていた、ということが起きてしまいがちです。
「他人に迷惑をかけたくない」、けれど「何が迷惑であるかをいちいち指摘したくない」
そんな我儘な要望を解決してくれるのが「暗黙の了解」の存在です。
誰も「やってはいけない」とは言っていないのに、なぜか誰もやろうとしないこと。知らず知らずのうちに恥ずかしいと思い込んでしまっていること。世の中にたくさんありますよね。
ここでやっと本題に戻りますが、生活保護や自己破産というのも、なぜか我々の中で恥ずかしいことだと思われがちです(スーツ氏の動画でも触れられていました)。別に使ったところで犯罪者になるわけでもないのに・・・。
まず1つの側面として、生活保護は「働いて何かを生み出すこともせずお金をもらう」という意味で「迷惑」であると考えられています(あくまで一般論として)。ですが、生活保護を受けるということは大なり小なり他には言いづらい理由があるということですから、それを本人に直接指摘してしまうと逆に自分が悪者になってしまいます。
それならば、「生活保護を貰っている人間はクズだ」という風潮を世の中に作ってしまえばわざわざ指摘せずとも進んで貰おうという人は少なくなりますよね。
https://www.nichibenren.or.jp/library/ja/publication/booklet/data/seikatuhogo_qa.pdf
生活保護といえば真っ先に思い浮かぶワードは「不正受給」ですが、この資料によるとたったの0.4%! なのにメディアで取り沙汰されるのはいつもこの0.4%の方です。
まあほとんどの人が真面目な理由で受け取っているので余計に目立つというのもあるのかもしれませんが、この0.4%のために全ての受給者が悪者扱いされてしまうのは余りにも可哀想です。
そしてそのような風潮作りのおかげか(?)、世界でも日本の生活保護受給割合はかなり低く留まっていることが分かります。その代償として今回のコロナ騒動で文字通り自らの首を絞めることになった、ということですね。
さて、これでお判りでしょうが、自殺を検討している人にとって死ぬことも周りに迷惑ですが、さりとて生活保護を受給すること、すなわち生きることそれ自体が周りに迷惑、という八方塞がりの状況になってしまうのです。
確かに周りに迷惑をかけないことは大事だとは思いますが、人の生き死にまで「迷惑」という基準で判定されてしまうこの社会はおかしいと思いませんか?
それこそ今回のウイルス騒動なんて自分の力ではどうにもならないことなので、別に少々他人に迷惑がかかったっていいと思いますけどね。だって自粛を選択しているのは日本人自身なんですから。嫌味を言われたら「うるせー!ならてめーが自粛せずに俺の店に来ればいいだろ!」と言い返してやればいいのです。
他者に対する迷惑の基準が厳しいということは、当然自分もそういう目で見られることになります。ゆとりのある内はそれで問題ありませんが、いざ死が選択肢に入ったとき、「迷惑だ」の一言で片づけられてしまう覚悟があなたにあるでしょうか・・・。
さて、自殺に関するもう1つの大きな問題点。
それが「自殺する前に誰にも頼れない問題」です。
我々、誰かが自殺すると決まって
「なんでもっと早く相談してくれなかったんだ・・・」
って言いますけど、
実際ガチで自殺を考えている人の相談を処理する自信、ありますか???
私にはありません。
正直ほとんどの人がそんな相談されても困ると思うんですよ。
だって自殺する気のない人が自殺する気満々の人の気持ちなんて分かるわけないじゃないですか。
だからはっきり言って本人のメンタル次第でしかないと思うんですよね、こういうのって。
そんなとき人類には最適な手段が用意されています。
それが「宗教」です。
日本人にとっての宗教のイメージといえば、
・怖いもの
・洗脳されそう・・・
・心の弱い人が縋るもの
というイメージが強いと思います。どっかのオ〇ム真〇教とかいうキ〇ガイ集団のせいで・・・。実際私もうっかり統〇教会の信徒になりそうになって逃げだしたこともありますし(笑)
ちょっと答えを先に言っちゃった感じになってしまったんですけど、
この「心の弱い人が縋る」という点は宗教の1つのメリットなのではないかと思います。
この記事で、
「無宗教の人の自殺率はそうでない人に比べ高い」
というグラフが提示されています。非常に興味深い話です。
自分の悩みは他人には理解してもらえない、誰に相談しても無責任に「生きろ」という返事しか返ってこない。自分のことすら分からない人が世の大半ですから当たり前です。それならば自らの信仰する神を頼る、「人」という枠組みを外れて外側から世界を見つめる。全く理にかなっていると思います。
生活保護、自己破産が経済的セーフティーネットならば、宗教は精神的セーフティーネットと言えるのではないでしょうか。
「じゃあ苦境に立たされている人が勝手に入信すればいいじゃないか」
と考える人もいるかもしれませんが、そうではありません。
宗教は生きていく上で重要な生死観、倫理観も提示してくれます。
例えば今のコロナ騒動でよく言われること、それは
「観光地は逃げない。だから今は旅行を我慢して、落ち着いたら行けばいい」
本当にそうでしょうか?
例えば、オタク界隈で何かと話題になっていた「つるや隠宅」という旅館がありました。
昨年7月に九州を襲った豪雨災害により経営していた一家は全員亡くなり、当然旅館も廃業です。
時間が経てばもしかしたらコロナは終息するかもしれない、でも時間が経てば失われるものも当然あります。
これが「無常」観です。
全く当たり前のことのはずですが、このコロナ騒動を見るにつけ、現代人はその原理原則でさえも忘れてしまったのだなあ・・・と感じさせられます。
もう1つ、そもそも人類は「死」を非常に恐れています。
今我々が戦っているとされているコロナについても、連日のようにやれ感染者数だ、やれ後遺症だ、やれ有名人が感染した、というニュースが飛び込んできます。
これまでの病気と比べても特別に凶悪、というわけでもないように思うのですが、何がここまで人類を駆り立てているのか、未だ私は理解できていません。
この「戦い」が長引けば長引くほど、当然ダメージを受ける人も多く、
以前にこんなことをつぶやいたのですが
「コロナ対策で死者1万4000人減った!」ってニュースと「コロナで食い扶持失った人が8万人!」ってニュースが同時に表示されてて笑っちゃった pic.twitter.com/kCe5vyqwAG
— 高岡氏 (@tk0k_) 2020年12月28日
今の人類って「コロナに罹らなければなんだっていい」という状況ですよね。コロナより怖いガンやその他の病気なんていくらでもあるのに。
その「コロナに罹らなければなんだっていい」の精神でいた結果、1万人の命は助かって代わりに8万人が路頭に迷ってしまったというわけです。
もちろんこの8万人全てが路頭に迷ったわけではないと思いますよ?多職種でも通用するスキルを持っている人もいるだろうし、現代は在宅ワークだって充実していますからね。
それにしても、この「とりあえず生きていれば何が起ころうとどうだっていいよね!」と言わんばかりの、「生が無条件に貴ばれている状況」というのは本当に幸せなことなのかな?と考えてしまいます。
世の中には生命力の強い人もいて、絶望的な状況を打開して現在は人気お笑い芸人になった麒麟・田村という例もあったりします。しかしそんな英雄譚は、世の中の流れに飲み込まれてしまった人達の屍山血河の上に成り立っているにすぎないのです。
またしても仏教的価値観の強い話ですが、「輪廻転生」という言葉はご存じかと思います。
この考え方の中では、人であれ動物であれ、現世に生まれている限りは何かしらの「業」があるのです。私の解釈が間違っている部分もあるかもしれませんが、この考え方はどちらかというと「死んでからが本番」という面が強いように思います。生きている限り、苦しみから逃れることはできない、という考え方です。
人類が数千年かけても未だに死の運命から逃れることは出来ていません。それなのに人類は死を恐れるあまり、苦しんで我慢してまでも生きようとする。これって本末転倒じゃないですかね?どうせいつかは死ぬんですから死を無闇に恐れるのではなく、ポジティブに受け入れる考えだってあっていいと思います。で、それを考えるのに適しているのが宗教教育ではないかと思うのです。
というか元々宗教の考えって大昔の何もない時代の人が考えたことですから、基本的に助け合いの精神が根底にあるんですよね。だから普通に情操教育にも役立つと思いますよ?
というわけで結論!
①人類、「迷惑」の基準を厳しくし過ぎ!もっと他者に寛容になろう!
②宗教を侮るな!現代ストレス社会を生きるヒントが隠されているかも?
久々にいっぱい文字を打って疲れました。
ではでは。