どこかの駅メモラーの雑記帳

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多様性の嘘

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こんにちは。高岡氏です。

 

つい先日、森元首相が「女性蔑視発言」をしたとかでオリンピック組織委員長を辞した、というのは記憶に新しい話です。

以前から失言の多さで度々物議を醸していたようですが、今回はなんとも相手が悪かったと言わざるをえないでしょうね。

 

 

この発言がなぜ燃えたかというのはもはやここで語るべくもありませんが、百歩譲って見ても「女性は慎み深くすべきだ」という伝統的な思想はやはり根底に見えてしまうかな、と思います。

 

人々の価値観や認識が時代によって変化していくことをパラダイムシフトと言いますが、この女性の人権に関する価値観はまさにその代表例ですね。これはもはや自然の摂理ですが、その変化についていけない人も残念ながら一定数生まれてしまうものです。

それは仕方のないことですが、私が良くないと感じるのは、時代の変化について来れなくなった人は悪なので叩いてもいいとする社会の在り様です。

 

それは本記事の執筆のきっかけとなったツイートに関連してくるのですが・・・。

 

 

 

タイトル回収になりますが、皆さんは

「多様性」

という概念についてどのような考えをお持ちでしょうか?

 

現代になってやたらとよく聞くようになった言葉ですが、恐らく多くの方が肯定的に考えているのではないでしょうか。

 

一人ひとり違う人同士が違いを認め合って暮らせる社会。それは確かにとても良いものだと思います。しかし、現実はどうでしょうか。

 

最初に挙げた森さんは「男女平等」という「多様性」の波に押し潰されてしまう結果となりました。

Twitterで黒人に関する少しタチの悪いジョークを飛ばした女性も同じく世界中から袋叩きに遭いました。

 

本当の意味で違いが尊重される世の中なら、この人達がここまで叩かれる必要性は無かったのではないでしょうか?

 

「多様性」なんて心地良い言葉の響きですが、結局のところ、多数派や声の大きな集団の考えが正義となってしまう仕組みでしかないのです。

 

なんだったら歴史上の戦争の引き金になった要因第1位がこの「多様性」と言っても過言ではないはずです。ホロコースト魔女狩り、民族間対立etc...

 

そう考えたら多様性なんて無いほうが幸せだと思います。意見の相違も対立もない、「映画のキャストには○○人と○○人を~%の割合で入れて~」なんて馬鹿げた基準も生まれませんからね。

 

さらに困ったことに、現代のネット社会は「多様性」をむしろさらに狭めてしまいかねない状況となっています。なぜなら、どんなにアンダーグラウンドで活動していても、SNSのような衆目の及ぶ所に無理やり引きずり出されてしまうことがあるからです。

(ツイフェミを名乗るアカウントが、ニッチなエロコンテンツを批判する内容のツイートをしているのを見かけます)

 

一見LGBTなど様々なマイノリティが同じ境遇の人を見つけやすくなっている社会であるように見えますが、彼らは運良く社会に認知されたにすぎません。例えば児童ポルノの規制が厳しくなり、小児性愛者にとってはかなり生きづらい社会になってしまったのではないでしょうか。

 

さらに言えば、企業が少し攻めたキャンペーンをすると(昨年は「みるタイツ」というものが少し話題になりましたが・・・)、その粗を探し出して皆で叩きまくり、そして企業が「皆様にご不快な思いをさせてしまい~」と謝罪して企画が頓挫してしまう、という流れはもう何度見たか知れません。

 

ここまで見ていただければもうお分かりかと思いますが、

人間は、自分の考えに反するものを見てしまうと反射的に排除したくなってしまう生き物なのです。

 

かろうじて出来るのは「無視」です。「分かり合おう」だなんて一瞬でも思ってはいけません。なぜならほとんどの場合それは「相互理解」ではなく「矯正」になってしまうからです。

そう考えると、外部と一切の接触を持とうとしない北センチネル島の住民というのは、生物としては非常に合理的ですよねえ。現代的価値観に照らせば彼らは未開で野蛮な民族であるということになりますが、彼らにしてみれば、我々の方こそ愚かで思い上がった連中なんでしょうね。

 

 

まあこんなことを言ってきましたが、やはり人々が個性を尊重しあえる世の中になるのが理想だと思っています。今の人類(もちろん私も)を見ていると綺麗ごとでしかありませんが、いつかそれが綺麗ごとで無くなる日が来るのでしょうか・・・。

 

ではでは。