こんにちは。高岡氏です。
突然ですが、何気なくTwitterを眺めていると、気になる言説を見かけました。
「国語の現代文が異様に得意だったやつは社会不適合者が多い」
らしいですよ。知らんけど(ツイ主は鍵をかけたので元ツイなし)。
ほーん、そうなんかー、と思って試しにGoogleで「現代文 社会不適合」のワードで検索するとこんな感じでした。
うーん、それっぽいのは上2つのnoteくらいですかねえ。
ちなみに1番上のnoteはなかなか面白い内容だったので見てみてほしいのですが、それはそれとして、言うほど「現代文が異様に得意=社会不適合者」という言説は一般的ではないようです。
まあこじつけようと思えばいくらでもこじつけられるのですが、私も現代文は比較的得意だったのでそう言われている理由をなんとなく考察してみようと思います。
そもそも、皆さんは現代文という科目についてどのようなイメージをお持ちでしょうか。
「センスが必要」
「勉強しなくても取れる人は取れる」
「作者の気持ちとか分かんねーーー」
一般的なイメージとしてはこんな感じですかねえ。ちなみに私も勉強しなくても現代文はそこそこ取れていたので正直ちょろい科目だと思っていました。
では、なぜ勉強しなくても点を取れるのでしょうか?
答えは簡単。問題の答えが問題文に記されているからです。
なんか「国語が得意=人の気持ちを読み取るのが得意、想像力がある」みたいなイメージがあると思うのですが、むしろ国語を解くのに想像力は最も邪魔な要素なんですよね。
私自身現代文の添削バイトを行っていたので分かるのですが、なまじ想像力のある人は「明らかに解答に不要な要素」を加えてしまいがちです。
例を挙げるなら、
「AさんとBさんはトランプを使って遊びました。」
という文章があったとしましょう。
問題が「AさんとBさんは何をしていたか?」だったとすると、
「現代文で高得点を取れる人」は「トランプを使って遊んだ」と答えます。
それに対し、「現代文で点数を落とす人」は「七並べや大富豪をして遊んだ」と答えるのです。
もちろん前後の文脈によっては後者の方がむしろ高得点になりうるのですが、例に挙げた一文だけでは、「トランプを使ってどのような遊びをしていたか」までは分かりませんよね。添削をやっているとこの手の解答は本当によく見ました。
そう、現代文というのはつまるところ、
「いかに問題文を文字通りに読み取れるか」
が肝なのです。行間を読むスキルだの想像力だのは一切不要、それどころかむしろ点数を落とす要素になってしまいます(最難関レベルの入試では要素の補完という意味での想像力は必要になってきますが)。
それを踏まえて「現代文が異様に得意な人」とはどのような人かを考えてみると・・・。まあ、そういうことですね。
「社交辞令やお世辞を額面通りに受け取ってしまう」
「融通が利かない」
「冗談が通じない」
と、こういうロジックなんじゃないかなーと勝手に考えております。
でもね、
「文章を文字通りに読めない人」と「文章を文字通りに読める人」ではどちらの方がより良いと思いますか???
の表示があるのに強引にレジに入っていこうとする人。
の表示があるのに私有地に入り込んで撮影を行ってしまう人。
そんな人達と比べたら「現代文が異様に得意な人」は遥かに社会に適合していますよね。
というわけで、現代文が得意なのは十分立派な才能ですから、ぜひ自信を持ってください。
ではでは。