どこかの駅メモラーの雑記帳

そこそこベテランの駅メモラーのブログです。旅行記や日々感じたことを書いていきます。

不安の取捨選択

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こんにちは。高岡氏です。

 

なんかもうワクチン4回目の話が出てるみたいですね。私なんて3回目の接種券すらまだ送られてきませんよ。気の早いこった。

まあ3回目は打つ気無いですけどね。

 

そりゃ確かに後遺症のリスクにいちいち怯えるのは馬鹿だと思いますが、2回の接種により、アレを打つと翌日何もできなくなるというのはよく分かりました。

冷静に考えると、翌日何もできなくなるもんを3回も4回も打つなんてアホか!と思ったわけです。

 

今流行ってる『タコピーの原罪』という漫画があります。私も最終回が気になっている漫画ですが、あの漫画に「ワクチン接種10回目」のニュースが流れている描写がありました。正直他のどんなホラー描写より恐怖だったよねと。

コロナに罹った、あるいは濃厚接触の際の療養期間だか経過観察機関って1週間でしたっけ?10回も打ったらもうそれを超えちゃいますね。あほくさ。コロナに罹ってもいないのに自分から1週間近くも動けなくなりたいとかどんなマゾヒストだよ・・・。

まあブラック社畜にとってはそれでも良いのかもしれませんがね。

 

 

というか3回目4回目のワクチンを積極的に打ちに行く人達って恐らく、何回打とうが結局不安は解消されませんよね。1回1回の接種で一瞬だけ不安が消えるかもしれませんが、その後にすぐ次の回があることを知らされることで、「まだ足りなかったのか・・・」と新たな不安の種が生まれてしまうというわけです。

 

別にコロナに限った話ではなく、結局人間という生き物は不安を1つ解消したところでまた別の新たな不安の種を探し出してしまう生き物ですね。現状に満足しない人類の宿命みたいなもんでしょう。

人間にとって何かしらの不安を抱えた状態は、むしろ自然な状態だといえますし、だからこそ、この不安に思う気持ちを無理に解消しようとしなくてもいいんじゃないかなあと思うわけです。

 

というよりは、「不安の取捨選択」が必要なのかもしれません。

 

例えばウクライナがどうとかコロナがどうとか、というのは過度に不安に思う必要のないことです。なぜなら我々庶民が何をしたところでなるようにしかならないことなので。自分の力でどうにもならないことをいちいち不安がっていては精神を病んでしまいます。

 

でも逆に、「老後2000万円問題」「生活習慣病」「仕事に必要なスキルを身につけないと・・・」みたいな不安は自分の力でなんとかできる割合が大きいですよね。毎月1万円でもいいから貯金なり投資に回すとか(いや足りんやろとか言わない)、1日1時間でいいから外を歩くとか、1日1時間でいいから勉強時間を確保するとか・・・。自分の力でなんとかなる系の不安は、不安を前向きなパワーに変換できるのです。

 

普段何の不安も無さそうに見える人というのはその取捨選択が上手いのでしょう。そういう人は、自分の力でどうにもならないことは可能な限り切り捨てて、どうにかなることにだけ全力でリソースを注いで生きているんだと思います。

 

もしその取捨選択が難しいというのであれば、まずはSNSをやるなとは言わないまでも、不安を煽るワードや発信者は積極的にミュートしていきましょう。

あれほど不安を高めるシステムも他にありませんからね。これはTwitterあるあるなのですが、Twitterで流行っているものを周りの人に話してみても全然通じなかった、という経験は多くの人が持っていると思います。種々雑多な人種がいて広い世界のように見えますが、結局フォローするのは自分と価値観の合う人間なわけですから、実はかなり狭いコミュニティです。

そんな狭いコミュニティで何万RTもされている不安を煽るツイートが回ってくれば、「(俺と価値観が合う)みんなも不安に思っているんだ・・・」と共感が発動してしまいます。こうなればもう不安の芽は不安の木になったも同然です。そこからは地獄の不安スパイラルが待ち受けています。

 

 

もちろん、どうにもならないことであっても問題意識を持つことは大事ではありますけどね。1人ではどうにもならなくても、何人もの力が集まれば世の中を変えうるかもしれません。ですが、大半の人間は見知らぬ誰かの不安を共有できるほどキャパシティは大きくはありません。不安の木が育っていくのを止められない人は、大人しくスルーしておいたほうが身のためです。

 

そもそもの話、世界や他人に目を向ける前に、自分としっかり向き合って生きていきましょう。

 

 

ではでは。