どこかの駅メモラーの雑記帳

そこそこベテランの駅メモラーのブログです。旅行記や日々感じたことを書いていきます。

【日常】「ご冥福」と「便乗」の境界

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こんばんは。高岡氏です。

 

 ついこの間志村けんさんが亡くなって、今度は藤原啓治さんも亡くなりました。

私はケロロ軍曹のファンだったので、この人のナレーションはかなり印象に残っています。ポール役も演じていた、というのは知らなかったので驚きましたが・・・(ファンなのに・・・)

 ノムさんもそうですが、今年は個人的に衝撃を受けた訃報が多いですね。

 

 オタクが多いTwitter界隈でも、当然衝撃と共に迎えられたニュースではあったのですが、そんな中でとあるツイートが炎上していました。

 

 

 このアカウントは、話題になっている人のラテアートをTwitterに上げることで有名なのですが、この写真を上げたのが訃報のわずか十数分後ということで、

「あまりにも周到過ぎやしないか?」Twitter民に目をつけられ、見事炎上してしまったというわけです。

 もちろんこんなハイクオリティのものをたったの数分で作れるわけがなく、暇なTwitter民の調査の結果、なんと2年前に作ってTwitterに上げていた写真をそのまま「今日の作品」として上げていた、という斜め上の事実が発覚し、「2年前からお悔やみを用意していたのか」なんてとんでもない批判も飛び出す始末。

 上げた本人の意図は分かりませんが、訃報があってすぐに一から作ったのならまだしも、過去作品を「今作りました!ご冥福をお祈りいたします!」と言わんばかりに上げるのは、人の死に乗じて手っ取り早く注目を浴びようとしていた、と取られても仕方のないことだとは思います。

 似たようなことがつい最近もありましたね。そう、「100日後に死ぬワニ」です。ワニが死んだ100日目の漫画が公開されてものの数分のうちに、グッズの宣伝やらタイアップ楽曲やら映画化決定の報やらが怒涛の如く押し寄せ、もはや失笑を買っていましたね。

 架空の登場人物の死でさえあれだけの物議を醸すわけですから、実在の、しかも著名人の死であれば尚更です。ラテアートのみならず、「ひろしが、しんちゃんとみさえに別れを告げる絵を描いた奴は全員ブロックする」という過激派もいました。

 

 ここでふと疑問に思ったのですが、

「故人をダシにしている"ように見える"人は本当にそれだけの思いで絵を上げているのか?」

「というかそんなこと本人にしか分からなくない?」

 

 そもそも、君らがTwitterで「そういえば、この故人にはこういうエピソードがあって~」とその人の裏話を語ったり、「私は故人に本当に良くしてもらいました・・・」と自分語りをしたりして、それがたくさんのいいねやRTを貰っていたら、それは「故人をダシにしているわけではない」と胸を張って言えるのか?

 多くの人は「ふざけるな!失礼なことを言うな!」と反論するかもしれませんが、自分たちがやってることってそういうことですよ。

 なんなら「ご冥福をお祈りいたします」だってわざわざTwitterに書くことでもないですよ。「祈り」なんだから心の中で思うに留めておけばいいのに、それをTwitterなりヤフコメなり人の目の届くところに書いている時点で、「追悼絵」を上げている絵師と同じです。そして、当然どちらも非難されるべき行為ではないと思います。

 人の死に対する向き合い方に、ルールなんてありませんよ。 

 

 人って不思議ですよね。口では理不尽なルールやマナーを嫌っているようなことを言っていても、結局は理不尽なルールやマナーに雁字搦めにされているんですから。

 なんか、揉め事ばかりのネットを見ていると、「死は救済」という言葉の意味が分かってくるような気がしますね。

 

 おやすみ。